ブログネタ
駅や街の立ち食いそば・うどんなど(含む閉店) に参加中!
この店は京王線の高幡不動~調布あたりに住んでいた人の多くはご存知だと思います。
電車を降りた時にすぐわかるくらい、駅中にそばつゆのいい香りがそれこそ、充満していました。

真っ黒い濃い色の汁(意外にあっさりしています)、中太で濃い色のそばが大好きでした。
かけそばでも十分美味しかったのですが、たまに奮発するときは贅沢系ではたぬきと山菜がたっぷり乗った「山菜そば」、またこれは後述にもありますがわりと頻繁に注文した、カレー味のコロッケの乗った「コロッケそば」が好きでした。ちなみに関東では珍しく「たぬきそば」というメニューはありませんでした。またいずれにしてもうどんを食べた記憶はありません。

中学時代はどこかに行くと、帰りにわざわざ下車して食べていました。当時は90円~100円くらいという記憶があります。また高校時代は野球部だったので下校時は腹が減り、帰りに一般的な調布から特急で府中乗換をせずに、わざわざ急行で分倍河原で下車して食べていました。就職後は職場が立川で、国分寺でアパートを借りるまでは、毎日分倍河原で南武線に乗り換えるので、朝などは頻繁に例の「コロッケそば」を朝食代わりに食べていました。

おぼろげな知識ですが、たしかこのそば店は深大寺そばの老舗「門前そば」の直営店だったと思います。(確証はありませんんので・・、違うかもしれません、悪しからず・・)

また会社員になって職場が立川なのに、たまたま用事で調布の国領に行く機会が多くなりました。すると何の縁か、実は国領駅の北口にも当時「門前そば」が出店していました。改札内ではなく北口の改札を出たところです。国領は調布の次に市内で栄えているところで、今は地下化されていますが、以前は地上の結構しょぼい駅で、最近までは各駅停車しか止まらない駅でした。でもよく考えてみたら、深大寺にはかなり近い駅で、理にはかなっているかもしれません。
またこれは最近までは確認していますが、千歳烏山の北口の広場や区民センターみたいなところを抜けて5分くらい歩くと、「門前そば」という立ち食い店舗がありました。今はどうなっているのでしょうか?でも今は逝去された仕事の相棒(当時烏山や八幡山に在住でした)と一緒に食べに行ったことがありますが、正直いうと分倍河原のとは少し違うように感じました。(気のせいかもしれませんが・・)


最初から整理すると・・
私は昭和49年夏に東京の府中に引っ越してきました。駅は中河原で、表題の分倍河原のとなりです。地元では分倍河原は「ぶばい」と呼んでいました。今でもその呼び方が抜けません。

その中河原に居住以来、就職して立川勤務の3年目の昭和63年までは特にお世話になりました。
その後国分寺のアパートに引っ越し、さらに結婚した平成6年初頭は小金井のアパートに住んでいましたが、結婚後もたしか年末に中河原の実家に帰る時に、必ず特別販売の年越しそば用のセットを立ち食いそば店の店頭で買っていたので、多分平成10年前後に閉店したのでは?と思われます。

下記に分倍河原の立ち食いそば事情を一般市民目線で見た、印象を記載しますが、正確な事情はわかりません。また前述の時期のどこかで、私が馴染んでいて大好きだった「門前そば」は撤退して、京王電車直営の「高幡そば」に変わってしまいました。下記「連絡改札口の設置」の事情と「高幡そば」に変わったのはどちらが先かは正直忘れました。

分倍河原駅というのは国鉄南武線と京王線がクロスする乗り換え駅で、結構な乗り降りがあります。京王線は急行の停車駅です。(今は準特急も停車します)
というのも、当時分倍河原駅は京王線の駅員しかいなく、当時の国鉄の駅員はいなかったはずです。
ですので、国鉄の改札がなく、国鉄から京王線に乗り換える間に改札口が存在しませんでした。
しかも関東地方ではまだ改札の多くは自動化されていませんでした。

とすれば、すぐ想像がつくと思いますが、どちらかの定期券を持っていれば~~ということです。

これは国鉄も、京王電鉄もどちらも認識していたと思いますが、何らかの理由で遅れていたのかもしれません。

ところが改札の自動化とともに状況が一変、分倍河原にも連絡改札口が設置されました。
それがどう影響したのかはわかりませんが、そのころに立ち食いそば店は撤去された、と記憶しています。改札口と「高幡そば」に変わったのがどちらだったのかは、おぼえていません。

個人的には残念ですが、社会情勢や事業者の都合もあるので、しょうがないと思っています。

あとちょうど10年くらい前に仕事(自営)の関係で福島県のいわき市にいくことが多くなり、行き帰りの常磐線でたまたま下車して食べた、水戸駅と勝田駅の立ち食いそば(それぞれの経営元は別かもしれません・・)が偶然表題の「分倍河原駅の門前そば」に似ていると個人的に感じました。その時もよく水戸や勝田で降りる、というスケジュールで行動したことがあるくらいです。

この両駅の立ち食いそばも今はどうなっているか、はわかりません。
こちらは写真も撮ったのであらためて機会があったら掲載したいと思います。